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京都地方裁判所 昭和62年(ワ)13号 判決 1992年10月30日

主文

一  被告医療法人協仁会、同服部孝雄及び同大屋正章は、各自、原告田中慶憲に対し、金一一三四万七八〇三円及び内金一〇五六万七八〇三円に対する昭和六一年七月一二日から、内金七八万円に対する平成四年一〇月三一日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告医療法人協仁会、同服部孝雄及び同大屋正章は、各自、原告田中慶昭、同田中英昭、同田中雅昭に対し、各金三九一万五九三四円及び内金三六五万五九三四円に対する昭和六一年七月一二日から、内金二六万円に対する平成四年一〇月三一日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らの被告医療法人協仁会、同服部孝雄及び同大屋正章に対するその余の請求及び被告遠山敏春に対する請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用のうち、被告遠山敏春に生じた費用を原告らの負担とし、その余は、これを二分し、その一を原告らの、その余を被告医療法人協仁会、同服部孝雄及び同大屋正章の負担とする。

五  この判決は、第一、二項に限り、仮に執行することができる。

理由

一  当事者間に争いのない事実

静栄が昭和六一年七月一二日に小松病院で死亡したこと、原告慶憲が静栄の夫であり、原告慶昭、同英昭、同雅昭が静栄と原告慶憲との間の子であること、被告協仁会が小松病院を開設していること、被告服部が、本件手術当時、被告協仁会の非常勤医であり、静栄の本件手術の執刀医であつたこと、被告大屋、同遠山が、本件手術当時、被告協仁会の常勤医であつたこと、被告大屋は、静栄の主治医であり、被告遠山は、静栄の術前検査を行い、手術を勧めたこと、静栄が、昭和六一年六月四日、小松病院内科において、胃透視(レントゲン)検査を受けたところ、同病院の内科医である被告遠山により、胃噴門部にボルマン{1}型の進行癌であるとの診断を受け、その際、被告遠山が、静栄に同行した原告英昭に対し、薬での治癒は不可能で手術の必要があると告げたこと、静栄が、同月六日、被告協仁会に対し、小松病院において手術を受けたい旨申入れ、被告協仁会がこれを承諾したこと、静栄が、同月二二日、小松病院において、被告服部の執刀により、胃摘出手術を受けたこと、その後、右手術での食道と空腸の吻合部で縫合不全が発生したこと、縫合不全の生じた吻合部から胆汁等の消化液が胸腔内等に漏出したこと、静栄の主治医である被告大屋が、同月二六日、静栄の縫合不全を発見したこと、静栄が同年七月一二日、縫合不全による胸腹膜炎により死亡したこと、静栄の本件手術は開腹手術の術式であり、それゆえ当然に胸部には予防的ドレーンが設置されなかつたこと、被告遠山、同大屋が、静栄の手術に先立つて、原告英昭に対しては、静栄の病名は胃癌であること、薬では治らず手術する必要があること、静栄の癌の進行度とその場合の五年生存率等を、静栄に対しては、胃の入口に大きな潰瘍があり、出血しており薬では治らず手術する必要があることをそれぞれ説明したこと、被告服部が、本件手術前に、本件縫合不全と同様に、胃摘出手術で縫合不全が胸腔内で発生して排液が胸腔内に貯留した症例を一例経験していること、被告大屋が、本件縫合不全発見後に新たに左胸腔内にドレーンを追加挿入して排液に努めるとともに、抗生物質を追加投与して、自然閉鎖を待つ処置を採つたこと、被告服部が、主治医たる被告大屋に対し、ドレーンからの吸引を指示したこと、被告協仁会が、被告医師らの使用者であること、被告医師らの静栄に対する各診療行為が被告協仁会の業務の執行につきなされたものであること、被告協仁会が、静栄との間に診療契約を締結し、被告医師らを履行補助者として、静栄に対する各診療行為を行つたこと、静栄が、死亡当時七一歳の女性であつたこと、原告らが静栄の相続人であること、以上の事実は当事者間に争いがない。

二  静栄の症状の経過等

前記一の争いのない事実に加え、《証拠略》を総合すれば、静栄の症状の経過につき、以下の事実が認められる。

1  昭和六一年六月三日、原告英昭は、近時、母の静栄が食欲不振、倦怠感等の胃の異常を訴えるので、自分が吉富製薬のプロパーをしている関係で面識のあつた小松病院医師の被告遠山に架電し、同病院での胃透視(レントゲン)検査を依頼したところ、被告遠山は、検査の予約をしておくので、明日、小松病院に来院するように伝えた。

翌四日、静栄と原告英昭は、小松病院を訪れ、同病院内科において、被告遠山による胃透視等の検査を受けた。被告遠山は、右胃透視検査の結果、静栄の胃噴門直下に直径約五センチ大のボルマン{1}型の進行癌があり、癌の表面の決壊も始まりかけている状態であると診断し、右診断から、静栄の癌の占拠部位は食道直下であるために、放置して癌がもう少し大きくなれば胃の入口を塞いで食事ができなくなつて全身状態も悪化し、そうなつてからでは手術は極めて困難になると判断した。そこで、被告遠山は、静栄に対し、胃の入口に大きな潰瘍があり、出血もしており、薬では治らず手術をする必要があると説明し、原告英昭に対し、静栄の病名は実は胃癌であり、薬では治らず手術をする必要があること、手術は胃の全摘になることを告げ、その際、手術をどこの病院で行うかにつき、小松病院を選べば広島大学の服部教授の執刀で手術を受けられること、服部教授は優秀な外科医であること、大津市民病院等の紹介もできること、服部教授の日程の都合もあるので小松病院で手術を受けるならば六月六日までに返事をしてもらいたいことを伝えた。

同月六日、被告遠山が、静栄の胃内視鏡検査を実施したところ、先の胃透視検査による所見と一致し、癌の表面はすでにわずかな崩れと出血を認めるほどであつた。被告遠山は、原告英昭に胃内視鏡スコープを一瞥させて静栄の病状を知らせるとともに、再度、静栄に対し、胃の入口に大きな潰瘍があり、出血しており薬では治らず手術する必要があることを説明した。原告らは、先の被告遠山からの勧誘に対し、現職の国立大学の教授である広島大学の服部教授の執刀で手術を受けられるならば願つてもないことであると、小松病院での手術を希望していたので、この日、静栄及び原告英昭は、小松病院外科において服部教授の手術を受けたいと申入れ、同月九日に小松病院に手術のための入院をすることになつた。

そこで、被告遠山は、小松病院の外科医(外科部長)である被告大屋に対し、吉富製薬のプロパーである原告英昭の母親が、診断の結果胃癌に間違いなく、服部先生の手術を希望している、との旨を伝え、これを受けた被告大屋は、被告服部に対し、胃噴門部にボルマン{1}型の癌がある患者がおり、それが吉富製薬のプロパーの母親であることを電話で告げ、被告服部と相談の上、六月二二日に右患者の手術を実施することとした。被告大屋らは、胃噴門部癌であることから、開腹による胃全摘術を施行することを予定した。

(《証拠略》中右認定に反する部分は、経緯が不自然であり措信しえず、《証拠略》中、被告服部は、被告大屋から、静栄の癌病変部は食道胃接合部から二センチ以上離れているとの報告を受けたとの部分は、被告大屋作成に係る六月二一日の医師記録中の『腫瘍の辺縁は食道噴門接合部ぎりぎりである。』との記載に照らし、到底措信しえない。)

2  静栄は、同年六月九日から同月一七日まで、まず、小松病院の内科に入院して、総蛋白量等の検査、血液検査、胃内視鏡検査、病理組織検査、CT検査、腹部エコー、心エコー、心電図等の手術適応の有無に係る各種検査を受けた。同月一〇日の検査結果では、総蛋白量は六・一グラム/デシリットル(基準値は六・五から八・三グラム/デシリットル)、アルブミン値及び各種グロブミン値はいずれも基準値内であり、血色素量(ヘモグロビン)は一一・八グラム/デシリットル(基準値は女性で一一・五から一六・〇グラム/デシリットル)であつた。この間の静栄の食事摂取状態は、ほとんど全部食べるか一、二割ほど残すという程度であつた。同月一七日、被告遠山は、静栄の胃内視鏡検査を実施し、その際、胃病変部の組織をとつて、病理組織検査をさせたところ、悪性腫瘍にあたるグループ{5}との診断であつたが、右病理組織検査の結果が被告遠山のもとに来たのは、本件手術の後であつた。右胃内視鏡検査の終了後、静栄は小松病院の外科に転科した。

小松病院外科での静栄の主治医となつた被告大屋は、内科で実施された静栄の前記各検査結果を検討したところ、やや貧血傾向があるものの、血色素量(ヘモグロビン)は基準値内であるし、蛋白関係では、総蛋白量を除いては、いずれも基準値内であり、総蛋白量数値(六・一グラム/デシリットル)も、基準値の六・五グラム/デシリットルと比べてやや低めながら、手術に耐えられないほどではないし、静栄の食事摂取状態が、ほとんど全部食べるか一、二割ほど残すという程度で、まずは良好であつたことから、手術適応に問題はなく、術前にIVHを実施する等して静栄の栄養状態を補正する必要もないと判断した。

被告大屋は、原告英昭に対し、静栄の癌の進行度は{2}ないし{3}であると思われること及びそれぞれの場合での五年生存率を説明した上、胃の全摘手術になること、命に別状はないが大きな手術になることを伝え、これを聞いた原告英昭は、かなりの手術だろうと理解し、簡単な手術であると思つていたわけではなかつた。

3(一)  静栄の手術は、同年六月二二日午前八時から一一時までの間、被告服部の執刀、被告大屋の第一助手により小松病院において実施された。

被告服部は、術中、静栄の癌病変部の触診をしたところ、術前の予想よりも癌が非常に限局していたことから、胃の幽門部をかなり残せるものと診断して、当初の予定の胃全摘から胃噴門側亜全摘に変更し、胃の幽門部側を残すことにした。

被告服部は、胃全摘(亜全も含めた)の術式でのルーチンな切除方法に従つて、食道と胃の接合部の若干上に鉗子をかけ、その手前(食道と胃の接合部のすぐ上)でまず切除を行い、その後、食道と空腸の吻合をする際に、鉗子で挟んで挫滅した食道の組織を除外するため、右の挫滅部分を追加切除した。

再建術は、まず、空腸を持ち上げて、これと食道断端とを吻合し、次に、右吻合部から空腸の末梢のほうに向けて約三〇センチ離れたところの空腸と切除後残つた胃とを吻合し、それから、右の胃と空腸との吻合部からさらに二〇ないし三〇センチ下がつたところで空腸と空腸とを吻合する、いわゆるダブルトラクト法が採られた。

そして、右横隔膜下に先端がいくように予防的ドレーンが設置された。

(二)  右(一)の手術により摘出された静栄の胃癌病変部につき、切除断端口側と癌辺縁との間の長さを測ると、〇・七センチであり、追加切除された食道部分の長さを測ると、〇・八センチであつた(手術記録添付図)。右の切除断端口側と癌辺縁との間の部分(〇・七センチ)のうちの食道の部分は約〇・五センチなので、結局、切除した食道部分の長さは約一・三センチであつた。

(なお、静栄の癌病変部の摘出標本の写真での切除断端口側と癌辺縁との間の長さを測ると、約〇・二ないし〇・三センチであり、前記手術記録添付図での記載との間に齟齬があるものの、一般に臓器は摘出後には縮小し、固定標本の長さのほうが手術時の長さより短い((《証拠略》中の『胃癌の食道進展様式に関する臨床病理学的検討』と題する医学文献中にもその旨の記載がある。))こと、前記一認定の被告服部の行つた食道部分に係る当初及び追加の各切除の手順は、胃全摘((亜全も含めた))の術式でのルーチンなものであることの各事実に照らすと、前記摘出標本の写真は、切除した食道部分の長さについての前記認定を左右するものではないというべきである。)

(三)  右手術により摘出された静栄の胃癌病変部につき、病理組織検査が実施され、その結果、癌細胞が胃壁の一番外側である漿膜にまで浸潤していること、リンパ節や血管にも部分的に癌細胞が浸潤していること、癌の進行度はステージ{3}であること、摘出された胃粘膜の切除断端口側(ow)には癌浸潤はなかつたことが認められた。

4  手術後縫合不全発見までの静栄の体温、血圧、心拍数、呼吸数等のバイタルサイン、痛みの訴え、その他症状の推移は、以下に示すほか、別紙「田中静栄術後経過表」記載のとおりである。

(一)  術直後の六月二二日午後〇時三〇分、静栄が、創痛自制不良を訴えたので、主治医である被告大屋の看護婦に対する術後の「約束指示」(疼痛時、ペンタジン15ミリグラム、とある。)に従つて、鎮痛剤のペンタジンが投与された。その後、体温が三六度台から三八度台へと徐々に上昇したので、同日午後三時三〇分、先の術後の「約束指示」に従い、解熱剤のメチロンが投与され、その際、創痛自制不可の訴えもあつたので、同様に、鎮痛剤のペンタジンが投与された。同日午後五時一五分、体温が三八・六度に、心拍数が一一〇(回/分)となり、いずれも術後これまでのピークをむかえたが、その後、翌二三日午前一時ころにかけて、体温は三七度台を経て三六度台に下降し、心拍数も九〇台を経て八〇台に下がり、これ以降、同日午後四時ころまでの間は、この状態が継続して、おおむね安定していた。

その他、二二日午後七時四〇分、二三日午前八時四〇分にそれぞれ創痛自制不可の訴えにより、鎮痛剤のペンタジンが投与された。

術後の左横隔膜下のドレーンからの排液量は、手術当日の六月二二日中の合計量が六二cc、手術の翌日(第一病日)である同月二三日までの合計量でも八〇ccにすぎず、同日午前七時の測定の後は、排液は見られなかつた。

(二)  六月二三日の白血球数は、一万八五〇〇(個/立方ミリメートル)であつたが、同日午後五時四五分、静栄は、左背部痛を強く訴え、看護婦からその旨の連絡を受けた被告大屋は、静栄を診察し、左横隔膜下に入れたドレーンの先端が左横隔膜を刺激していることを疑つて、右のドレーンを二センチほど抜去したが、静栄の左背部痛は軽減しなかつた。そこで、被告大屋は、鎮痛剤のペンタジンを投与し、併せて、静栄に虚血心の既往症があつたので、虚血心に対する処置として冠拡張剤のフランドルテープを胸部に貼付した。右の処置をした後も、静栄の左背部痛は軽減せず、同日午後七時には、全身冷汗が持続して、「何もして欲しくない。」といつて全身を硬直させていた。このとき、静栄の血圧は最高一三四、最低七〇、心拍数は九〇(回/分)、呼吸数三七(回/分)で、体温は上昇傾向にあり、三七度前後であつたと認められる。静栄の左背部痛は、同日午後九時の時点でもなお持続していたが、同日午後一一時には軽減し、翌二四日午前一時には痛みは消失した。

(なお、六月二三日午後二時五〇分での経過表下段の投薬、処置等の記載欄に『チアノーゼ、嘔吐なくP不整なし』との記載があるけれども、同日の午後一時及び午後四時の各時点では静栄の顔色、爪床色は良好であること((経過表))、チアノーゼの観察は爪床、口唇等でされること((《証拠略》の医学文献中の『7.チアノーゼ(紫藍症)』と題する部分にその旨の指摘がある。))、同日午後二時五〇分の時点ではチアノーゼに対する格別の処置が採られていないことの各事実からみて、経過表の前記記載はチアノーゼ症状がなかつたことを意味するものというべきである。《証拠略》中、六月二三日午後二時五〇分に静栄にチアノーゼ症状があつたことを認めているのではないかと思われないでもない部分はあるが、尋問の経緯に照らせば、被告大屋はチアノーゼ症状を否定する趣旨の供述をしているものであり、何ら右判断を揺るがすものではない。)

(三)  第二病日である同月二四日午後一時二〇分、静栄が心窩部痛を訴えたため、前記の術後の「約束指示」に従い、鎮痛剤のペンタジンが投与された。ところが、同日午後二時になつても、静栄の疼痛が軽減しないばかりか、同日午前一〇時以来上昇気味であつた体温が、三八・四度にまで上昇し、血圧も最高一五二、最低七六、心拍数一一二、呼吸数三二となつた。

同日午後二時三〇分、解熱剤のメチロンが投与され、併せて、静栄の心窩部痛が、未だに、全く軽減しなかつたため、小松病院の馬場医師の指示により、鎮痛剤として、先の主治医による「約束指示」に定められたペンタジンに代えて、鎮痛剤のレペタンが投与された。

同日午後三時、疼痛は軽減し、同日午後四時には、疼痛は全く消失し、体温は三七・二度、心拍数は九〇にまで下がつたが、その後、体温は三七度台を持続し、心拍数は同日午後七時には九六に、翌二五日午前一〇時には一一二となつた。

同月二四日の午後(昼間)、静栄の胸部単純X線の検査が行われ、ベットサイドにおいて、臥位の姿勢で、ポータブルのレントゲン機によつて撮影された。このレントゲン写真には、左の肺野に非常にぼやつとした影が写つていた。

(四)  同日午後八時、急患があつたため、静栄は、リカバリールームから病室へ転室したが、その直後あたりから、天井に蜘蛛の巣がいつぱい張つている等とありもしないことを次々と口にするようになつたので、原告英昭の妻の美喜子は、翌二五日午前七時、その旨を看護婦に報告し、また、同日の医師回診の際、被告大屋にその旨を伝えた上、幻覚は一時的なものかと聞いたが、被告大屋は、「そう思います。」と返事をしただけであつた。

(《証拠判断略》)

(五)  第三病日である六月二五日午後三時五〇分、静栄が半座位になろうとしたときに急に強い左胸部痛が生じ、顔面蒼白で口唇部にチアノーゼが見られたので、その旨の報告を受けた被告大屋は、痛みの原因が分からず、静栄の既往症から、虚血心による胸部痛ではないかと考え、同日午後四時、虚血心に対する処置として舌下錠のニトロールを投与するとともにフランドルテープを胸部に貼付し、経過観察をすることとした。

同日午後四時二五分には、顔色がすぐれず、四肢の冷感等の症状がでて、看護婦も要観察と判断した。同日午後六時には、胸痛のほか、意味不明なことをいい、幻覚・幻視が生じ、心拍数は一二〇となり、これ以降、悪寒、幻覚、幻視、興奮状態が激くなり、症状が悪化していつた。

(六)  六月二六日午前〇時、最高血圧が一挙に八〇にまで低下し、心拍は微弱になり、顔面蒼白、全身色不良の状態で、四肢冷感が強く、喘ぐような呼吸で、意識レベルの低下が疑われた。同日午前〇時一五分、血管ガス分析検査が施行され、PO2値は五五・三と酸素分圧の低下を示していた。その後も、不穏状態は持続した。

同日午前三時三〇分、静栄の左肺の呼吸音がなく、その旨の連絡を受けた被告大屋が、同日午前五時二〇分、静栄を診察したところ、左肺の呼吸音の消失が確認された。そこで、被告大屋は、まず、喀啖等で気管支が閉塞して空気が入らなくなる無気肺を疑い、原告らの承諾を得て、気道切開をして吸引をしたが、それでも左肺の呼吸音が聴取できなかつたので、次に、胸水の貯留を疑い、同日午前九時二七分、胸部に試験穿刺をして吸引してみたところ、炎症性の滲出液と消化管液の混ざつた膿性の胸水が一〇〇〇ミリリットルも吸引され、このような胸水の性状から、縫合不全の発生が判明した。

被告大屋は、縫合不全の発生が判明したこの時点まで、静栄の疼痛が縫合不全に起因するものと考えたことは全くなかつた。

5  六月二六日、縫合不全を発見した被告大屋は、胸部を小さく切開して左胸腔部にドレーンを挿入し、ドレーンと連結した持続吸引器により胸水を吸引し、以来、これを継続した。このとき、静栄の意識状態は、呼びかけにわずかに反応する程度であつた。

この日の正午ころ、被告大屋は、被告服部に架電し、静栄の胸腔に貯留していた膿性の胸水が胸部の試験穿刺により吸引され、縫合不全が発生したと思われることを告げたところ、被告服部は、ドレーンからの吸引を続けるように指示した。

縫合不全発生部位については、被告大屋は、胸腔に消化液等の内容物がでていることから、三か所ある吻合部のうち、一番上に位置する食道・空腸吻合部に間違いないものと推定した。

被告大屋は、一般に縫合不全時の組織の状態は非常に脆いために再縫合は困難で成算がないといわれることのほか、静栄の意識が正常でなく、ショックの危険のため麻酔は全身・局所とも施行できないほどに全身状態が悪化していたことから、再手術は無理と判断した。

そこで、被告大屋は、抗生物質による感染防止の強化のため、同月二七日以降、従前から投与していた抗生物質のほかに、リラシンピギー等の抗生物質を順次追加投与した。

更に、被告大屋は、同月二七日には、一般の点滴の補液に蛋白製剤のアルブミン液を補給し、同月二八日からは、原告慶昭からの依頼を受けて、IVHを施行することとし、同日は静栄の症状が安定していなかつたため、最初から高カロリーの輸液を行うとかえつて負担になるので、同月二九日から高カロリーの輸液を開始し、以来、これを継続した。

(《証拠判断略》)

6  六月二六日以降の静栄の意識状態は、呼びかけにわずかに反応する程度の状態が継続していた。

同月二九日、下腹部の膨隆、圧痛等の所見から、ダグラス窩に膿瘍形成の疑いが持たれ、同年七月一日には、左側腹部圧痛の所見から、左側腹部での膿瘍形成の疑いが持たれ、それぞれの箇所にドレーンを追加挿入した。

七月六日夜より、左側腹部ドレーンから多量の胆汁を中心とする排液が急に増加し、これと平行して全身状態が悪化し、同月一〇日にはDIC(血管凝固症候群)の疑いが持たれた。同月一一日、静栄の意識レベルが著しく低下し、同月一二日午前一一時三分、静栄は死亡した。

以上のとおり認定することができる。

三  本件縫合不全発生の機序

《証拠略》によれば、本件手術中に食道・空腸吻合の際に腹腔内に引つ張り込まれた食道が術後に著しく縮み上がつたために、本件手術終了時には横隔膜下にあつた食道・空腸吻合部が横隔膜の上にまで引き上げられ、そのため、食道と空腸の縫合部に緊張がかかるとともに、空腸が折れ曲がつた状態で横隔膜裂孔に締めつけられて血行が悪化したために、縫合部に縫合不全による孔が生じた。そこから漏れた消化管液は、横隔膜裂孔が縫合不全による孔の辺りを締めつけているために、腹腔内に下りてくることができずに縦隔洞の非常に狭いところに溜まり、これがばい菌の増殖により膿に変わり、この膿のため縦隔洞を覆う肋膜に炎症が起こつて肋膜が破れ、その破れた部分から消化管液が肋膜腔に流れ込んだものである。

四  静栄の癌病変の食道への浸潤の有無

術前の静栄の胃内視鏡検査写真によつて静栄の胃噴門部の癌病変が食道に浸潤していたものと認められるかどうかの点につき検討する。

1  《証拠略》によれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足る証拠はない。

昭和六一年六月一七日に被告遠山が実施した静栄の胃内視鏡検査の写真は、二本のフィルムを使つて撮影されており、一本目のフィルムで、検乙第三号証の二一から始めて四〇までの写真が、二本目のフィルムで、検乙第三号証の番号と逆の順に、検乙第三号証の二〇から始めて一までの写真がそれぞれ撮影された。

一本目のフィルムで撮つた写真は、全てカメラを食道内部に位置させて、食道内部(一部、翻転した胃粘膜も)を撮影したものであり、そのうち、一枚目から四枚目は、食道中部あたりを、五枚目以降は、食道胃接合部(ECジャンクション、または、Zラインともいう)辺りをそれぞれ撮影したものである。五枚目以降では、胃カメラを飲んだ患者が嘔吐気味になつたときに胃粘膜が翻転するため、胃粘膜も一部写つており((例えば、検乙第三号証の三三で、写真の真ん中の円形の中のところに翻転した胃粘膜(食道胃接合部から約一・五センチ下まで))が写つている)、また、撮影時の臓器の位置の関係で、癌病変部からの出血が流れてきて食道胃接合部及び胃粘膜で赤くなつている部分があるが、そこにも癌腫の存在は認められない。

二本目のフィルムで撮つた写真のうち、一枚目から四枚目は、カメラを癌腫を越えた奥の胃内部に位置させて、胃粘膜を撮影したものであり、胃粘膜の異常は認められない。五枚目から一二枚目は、カメラを胃内部から引き上げながら、レンズを胃の中部から下部のほうに向けて、癌腫を撮影したものであるが、癌腫の周りの白つぽい部分は、胃粘膜が反射でハレーションを起こしたものであり、写真中央の黒い空洞様のものは、撮影時に胃内部に送り込む空気量の関係で、胃の中間部分が膨らみきらないで土管状に見えているものである。一三枚目から二〇枚目は、胃カメラを食道内に戻して、食道胃接合部辺りを撮影したものであり、このうち、検乙第三号証の七には、翻転した胃粘膜も写つており、そこの胃粘膜は正常で、撮影時の臓器の位置の関係で、癌病変部からの出血が流れてきて食道胃接合部及び胃粘膜で赤くなつている部分があるが、そこにも癌腫の存在は認められない。

以上のとおり認定することができる。

2  《証拠略》によれば、胃透視検査のレントゲン写真の食道部分には、良性の疾患である食道憩室があるほかは、胃内視鏡検査の写真にみられるような大きな癌腫の存在を窺わせる欠損像はないことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

3  前記二の3の(三)認定の摘出部分の病理組織検査結果のほか、右1及び2の認定事実を総合すれば、静栄の癌病変が食道に浸潤していた事実がないことは明らかである。

《証拠略》中、被告遠山は、一旦は検乙第三号証の七に癌腫が写つていると認めたが、単なる誤解に出たものにすぎず、後にこれを撤回・訂正したことも首肯できる。

また、《証拠略》によれば、胃透視検査のレントゲン写真自体からは、食道胃接合部と静栄の癌病変部との距離を読み取り得ないことが認められるが、この事実も右の認定を左右するものではない。

五  請求原因3の(一)の(1)(術前における癌病変部上辺に係る検査結果の精査懈怠とこれによる術式選択の過誤)について

原告らは、静栄の癌病変が実は食道に浸潤していたのに、被告医師らは、術前における癌病変部上辺に係る検査結果の精査を怠つたためにこれを看過し、そのため、本来採るべきだつた開胸による術式を採らず、開腹術式を採つた術式選択の過誤があつたと主張するので、以下、この点につき、検討する。

1  《証拠略》によれば、胃全摘出術(胃癌)にあつては、食道浸潤の程度によつては開胸操作が必要になるので、食道下部の所見には特に注意を払う必要があることが認められるから、医師としては、噴門部癌による胃全摘出術を施行するにあたつて、患者の食道下部すなわち癌病変部上辺の所見につき、術前に十分な検査を行い、その結果を精査して、開胸操作が必要になる程度の食道浸潤があるか否かを的確に診断した上、適切な術式を選択すべき義務があるというべきである。

2  《証拠略》によれば、食道は、大別すると、頚部食道、胸部上部食道、胸部中部食道、胸部下部食道、腹部食道に分類され、腹部食道は横隔膜下の腹腔内に存するものであることが認められ、また、一般に腹部食道の長さは約三センチといわれている。

3  前記四で認定したとおり、静栄の癌病変の食道への浸潤の事実が認められないことのほか、前記二認定の本件手術での食道部分の切除範囲(約一・三センチ)と腹部食道の部位及びその一般の長さとを対比すると、本件は、開腹手術により十分に対応しうる症例であつたと認められることに鑑みれば、被告医師らが、術前における癌病変部上辺に係る検査結果の精査を懈怠し、そのために術式選択を誤つたものとはみられないことは明らかであるから、この点に関する原告らの主張は理由がない。

六  請求原因3の(一)の(2)(説明義務違反)について

原告らは、被告遠山並びに同大屋は、静栄並びに原告英昭に対し、摘出手術以外の治療法の存在並びに摘出手術と他の治療との優劣、胃噴門部癌の摘出手術の困難さや縫合不全等の術後合併症の存在等の手術に伴う危険の内容・程度、癌の食道への浸潤の程度によつては、食道の一部を切除して開腹手術より危険な開胸手術をすることもありうること、執刀医らの勤務状況等の医療体制の各事項について説明していないから、右被告両名には説明義務違反があると主張するので、以下、この点につき、検討する。

1  一般に、医師は、診療又は治療のため、患者に対して手術等の医学的侵襲を伴う医療行為を行うにあたり、その過程及び予後において、一定の蓋然性を持つ悪しき結果ないし死亡等の重大な結果の発生が予測される場合には、診療契約上の義務ないし右医学的侵襲等に対する承諾を求める前提として、その患者ないしはその家族に対し、患者の病状、治療方法の内容及び必要性、発生の予測される危険等につき、当時の医療水準に照らして相当と思料される事項を説明し、その患者が当該医療行為の必要性や危険性を十分に比較考慮した上で、これを受けるか否かを決定することを可能にする義務を負うものというべきである。

2  前記二の1及び2の認定事実によれば、静栄の病状は、胃噴門直下の直径約五センチ大のボルマン{1}型の進行癌で、癌の表面がわずかに崩れて出血もあり、病理検査結果によれば悪性腫瘍であつて、癌の進行度は、術前にはステージ{2}ないし{3}と予想されたところ、摘出病変部の病理検査結果によりステージ{3}と確診され、病理検査結果によればリンパ節や血管にも部分的に癌細胞の浸潤があつたというのであり、これに対する被告遠山の診断は、癌の占拠部位が食道直下であることから、放置して癌がもう少し大きくなると胃の入口を塞いで食事ができなくなり、全身状態が悪化し、そうなつてからではもはや手術は極めて困難になるというものであつた。

次に、前記二の1及び2の認定事実によれば、被告遠山並びに同大屋の静栄並びに原告英昭に対する説明内容は、静栄の胃の入口に癌(静栄に対しては、胃潰瘍)があり、病変部からは出血があつて薬では治らず手術が必要であること、手術は胃を全て摘出するもので、大きな手術であるが、命に別状はないこと、予想される癌の進行度での手術をした場合の五年間の生存率の各事項であり、右の説明を聞いた原告英昭は、かなりの手術だろうと理解し、簡単な手術であると思つていたわけではなかつた、というのである。

3  以上を前提に、被告遠山並びに同大屋の説明義務違反の事実の有無を検討すると、静栄の癌病変の部位・状態、癌の進行度、癌摘出手術を実施しなかつた場合に予想される悪しき事態の内容・程度に照らすと、静栄の手術の必要性は極めて高いものであつたといえること、七一歳の患者の胃の全部を摘出するということは、それ自体相当程度の危険を伴うことは通常予想しうるものであること、被告遠山、同大屋の各説明により原告英昭が理解した手術の規模・程度の各事情を総合すれば、摘出手術以外の治療法の存在並びに摘出手術と他の治療法との優劣、胃噴門部癌の摘出手術の困難さや縫合不全等の術後合併症の存在等の手術に伴う危険の内容・程度、癌の食道への浸潤の程度によつては、食道の一部を切除して開腹手術より危険な開胸手術をすることもありうることの各事項について、これらを逐一説明するまでの必要はないものというべきであるから、前記認定の被告遠山並びに同大屋の静栄並びに原告英昭に対する説明により手術前に医師に要求される説明義務は十分に尽くされているというべきである。

また、前記二の1の認定事実によれば、原告らは、静栄の手術の執刀医である被告服部が広島大学の教授であることを熟知し、そうであればこそ小松病院での手術を選択したというのであるから、被告遠山並びに同大屋が、執刀医らの勤務状況等の医療体制について説明を怠つた事実はないというべきである。

4  以上より、被告遠山並びに同大屋が説明義務に違反したとの原告らの主張は理由がない。

七  請求原因3の(一)の(3)(手術適応の診断及び術前栄養管理の過誤)について

原告らは、被告医師らは、術前検査によつて静栄が総蛋白量低下、貧血傾向の状況にあることを知りながら、何ら栄養改善のための措置を採らず、これにより、静栄の本件縫合不全を発生させたと主張するので、以下、この点につき検討する。

1  前記二の2の認定事実によれば、静栄の術前検査の結果は、総蛋白量(六・一グラム/デシリットル)が基準値(六・五から八・三グラム/デシリットル)を下回り、アルブミン値及び各種グロブミン値はいずれも基準値内、血色素量(ヘモグロビン)が基準値内というものであり、術前の入院中の静栄の食事摂取状態は、ほとんど全部食べるか一、二割ほど残すという程度であつたというのであるが、被告大屋は、内科での各検査結果を検討したところ、やや貧血傾向があるものの、血色素量(ヘモグロビン)は基準値内であり、その他、総蛋白量を除いては、いずれも基準値内であつて、総蛋白量数が、基準値と比べてやや低めながら、手術に耐えられないほどのものではないし、静栄の食事摂取状態が、まずは良好であるとみたことから、手術適応に問題はなく、IVH等の術前の栄養補正の必要はないと判断した、というものである。

2  《証拠略》によれば、縫合不全は消化管手術の合併症のうちもつとも重篤でときには致命的な結果をもたらすものであり、食道空腸吻合部では高頻度で発生するほか、低蛋白血症、高齢の患者では縫合不全発生の危険が高くなることが認められるから、食道空腸吻合を伴う胃全・亜全摘出手術を実施する医師としては、患者に低蛋白血症等の縫合不全発生を予想させる要因があるときには、当時の医療水準に照らし、これを防止するための適切な措置を講ずる義務があるというべきである。

3  《証拠略》を総合すれば、術前に総蛋白量を六・五グラム/デシリットルにまで改善しておくことが望ましく、総蛋白量六・〇グラム/デシリットル以下の低蛋白血症では高頻度で縫合不全が発生し、いちおうリスクファクターとなり、最終の目標は一応血液総蛋白で六・〇グラム/デシリットル以上とされることが認められ、これによれば、静栄の術前の総蛋白量六・一グラム/デシリットルという数値は、縫合不全の予防にとつて望ましい程度には達していないものの、高頻度で縫合不全が発生するまでの危険なものではない、ということができる。

次に、《証拠略》(このうちの現代外科学体系11「栄養・ビタミン・酵素・内分泌」の{1}の3のa.手術前の栄養補給)によれば、手術前の急速な補正はかえつて生体の代謝に適応せず、逆な結果になることさえあり、原疾患が進行性のものであれば、やむなく手術に踏み切ることがある、との外科医の見解があることが認められるが、他方、《証拠略》によれば、悪性腫瘍だから大急ぎで手術しなければならないという考えは適切でないとして、低栄養患者の術前栄養改善の重要性を強調する旨の外科医の見解があることが認められる。

4  以上を前提に、被告医師らの手術適応の診断及び術前栄養管理の過誤の有無を検討すると、右1認定の術前の静栄の各種検査結果の数値並びに食事の摂取状態・静栄の術前総蛋白量が基準値を下回つている程度、癌等の進行性の疾患での術前栄養改善のあり方に関しては、どの程度まで低栄養患者の術前栄養改善を徹底・強調するかは個々の医師の専門的判断に委ねられているものというべきであることの各事情を総合して判断すると、静栄の手術適応を肯定し、術前の栄養状態の補正を不要とした被告大屋らの前記1の診断には、不適切な点はなかつたというべきであるから、この点についての原告らの主張は理由がない。

八  請求原因3の(一)の(4)(手技自体の過誤)について

原告らは、被告服部並びに同大屋の本件手術の手技自体に過誤があつたと主張するので、この点につき検討すると、前記三認定の本件縫合不全の発生機序に照らせば、本件縫合不全は、術中に食道と空腸を縫合する際に腹腔内に引つ張つた食道が術後に著しく縮んだために食道・空腸吻合部が引つ張り上げられたことがその発生原因であり、食道・空腸吻合部の縫合の仕方の善し悪しに係わるものではないというべきであること、前記二認定の本件手術での食道部分の切除範囲(約一・三センチ)と腹部食道の一般の長さ(約三センチ)との対比からは、被告服部らにおいて、無理に食道を腹腔内に引つ張りだして窮屈な吻合をしたとは認められないことの各事実に照らすと、本件手術での被告服部並びに同大屋の手技自体の過誤の存在を認めることはできず、本件縫合不全が、後記九認定のとおり、術後比較的早期に発生している事実及び前記二認定の本件縫合不全発見の際に一〇〇〇ミリリットルもの胸水(炎症性の滲出液と消化管液が混じつたもの)が胸腔内に貯留していた事実によつても、右認定を覆すには足りないというべきであるから、この点に関する原告らの主張は理由がない。

九  請求原因3の(一)の(5)(縫合不全発見の遅れ)について

原告らは、被告大屋並びに同服部は、静栄が昭和六一年六月二三日午後七時には縫合不全特有の症状を示していたのに、ドレーンからの排液の監視のみに頼りすぎてこれを看過し、縫合不全の発見が著しく遅れた旨主張するので、以下、この点につき検討する。

1  まず、《証拠略》を総合すると、縫合不全に関する一般論として、以下の事実が認められる。

(一)  縫合不全の初発症状としては、発熱、頻脈が高頻度(症例三六例のうち、三八度の発熱がその八三・三パーセントに、一一〇((回/分))を越える頻脈がその六九・四パーセントに、それぞれ認められたとの報告例がある。)に認められ、その他の縫合不全の症状としては、心窩部や左側背部の圧痛、胸部X線検査での胸水貯留所見、一万(個/立方ミリメートル)以上の白血球増多症、予防的ドレーンからの排液の増加・膿状化が認められる。また、縫合不全の検査方法としては、胸部X線検査(胸水貯留所見をみる)、造影剤検査(造影剤のガストログラフィンを経口摂取し、X線で縫合部からの漏れの有無をみる)、メチレンブラウン等の色素検査(色素を経口摂取させ、予防的ドレーンから漏出するかをみる)がある。

(二)  手術から縫合不全の診断確定までの日数について、一二日目までの三四症例のうち、四日目と八日目にピークがみられる(各五例)が、一ないし三日目の症例も各一ないし二例あつたとの報告がされている。

(三)  縫合不全発生の局所的因子の一つとして、術後早期に縫合部に過度の緊張がかかることが指摘されている。

(四)  縫合不全の症状といわれる発熱、頻脈、白血球増多症等の症状は、縫合不全がなくとも術後三日目ころまでの早期には手術自体に伴う症状として多少は認められるので、右症状だけで縫合不全を判定するのは困難といわれている。

(五)  縫合不全が発生していなくとも、胃全摘手術を行つた場合には、通常、反応性の胸腔内の浸出液の貯留が見られる。

(六)  一般に消化管吻合術を施行した場合には、術後二、三日間は発熱があり、その後、一旦三七度前後に下降するが、術直後の発熱が下降した後、再度四、五日後に発熱し、以後六ないし八日目に三八ないし三九度の高熱となれば、まず、縫合不全を考慮に入れるべきであるといわれている。

(七)  縫合不全の診断に際し、予防的ドレーンからの排液の状況を診断の手助けにしようと考えると、思わぬ過診をきたすことがあるといわれており、被告服部自身、腹腔のドレーンから排液がなくて、胸腔内に排液が漏出し初めて縫合不全に気がついた症例を、本件の前と後にそれぞれ一例ずつ経験している。

(八)  造影剤検査は、術後三、四日目ないし七病日前後の、経口摂取を開始する前に行われることが多いが、通常、縫合不全が疑われる場合、あるいは、経口摂取を開始する場合に、水溶性造影剤であるガストログラフィンの経口投与によるX線検査により吻合部の状態を観察するといわれている。

(九)  縫合不全の治療法には、大別、保存的療法と手術療法とがあり、保存的療法には、(1)ドレーンからの持続吸引による膿汁等の体外誘導、(2)抗生物質の追加投与により感染防止に努める、(3)IVHによる栄養管理の三つが、手術療法には、(1)新たなドレーンを挿入するドレナージ術、(2)再縫合(た開した部分を縫い縮めて閉じるほか、大網が残つている場合には大網で覆う方法もある。)ないし再切除(炎症のある部分を切除し、炎症のないところで再吻合する。)等が、それぞれあること、再縫合・再切除については、一般に縫合不全部の組織は脆くなつており、再び縫合部が裂けることが多い。

(一〇)  食道空腸吻合部での縫合不全は予後が一般に悪く、排液が胸腔内に漏出した場合には、腹腔内に漏出した場合よりも治癒しにくい。

2  前記二の4の認定事実、《証拠略》によれば、静栄の手術後縫合不全発見までの症状の推移及び被告服部らの縫合不全に対する術後管理は、次のとおりであつた。

(一)  手術当日の六月二二日午後五時一五分ころ、手術終了時以来の発熱、頻脈のピークが訪れたが、その後は同月二三日午後四時ころまで、体温・心拍数とも安定した状態が続き、その間、創痛の訴えは断続的にあつた。

(二)  同月二三日午後五時四五分、左背部痛の訴えがあり、被告大屋が、左横隔膜下のドレーン及び既往症の虚血心に対する処置をしたものの、左背部痛は軽減せず、同日午後七時には、全身冷汗が持続し、「何もして欲しくない。」といつて全身を硬直させ、心拍数、呼吸数ともに上昇し、体温も上昇傾向を示していたが、同日午後一一時に左背部痛が軽減し、翌二四日午前一時には痛みは消失した。

(三)  同月二四日午後一時二〇分、心窩部痛の訴えがあり、主治医からの事前の「約束指示」に従い、鎮痛剤のペンタジンが投与されたが、同日午後二時には、疼痛が軽減しないばかりか、体温は三八・四度に上昇し、心拍数も一一二と高数値を示し、同日午後二時三〇分には、解熱剤のメチロンが投与された。しかし、心窩部痛が全く軽減しなかつたため、看護婦が主治医以外の医師の指示を仰いだ結果、「約束指示」で定めた鎮痛剤に代えて、新たに鎮痛剤のレペタンが投与されたところ、同日午後三時にようやく疼痛が軽減し、同日午後四時には疼痛は全く消失した。その後、三七度台の体温が持続し、心拍数もその後九六となり、翌二五日午前には一〇〇台を示した。

(四)  同月二四日の午後(昼間)、静栄の胸部単純X線の検査が行われた。レントゲン写真は、静栄のベットサイドにおいて、臥位の姿勢で、ポータブルのレントゲン機によつて撮影されたが、このレントゲン写真には、左の肺野に非常にぼやつとした影が写つていた。

(五)  同日午後八時に、静栄は病室へ転室したが、その直後あたりから、静栄は、天井に蜘蛛の巣がいつぱい張つている等とありもしないことを次々と口にするようになつた。

(六)  同月二五日午後三時五〇分、半座位になろうとしたときに急に強い左胸部痛が生じ、顔面蒼白、口唇部チアノーゼとなり、被告大屋は、痛みの原因が分からないまま、既往症の虚血心による胸部痛ではないかと考えて、虚血心に対する処置を採つたが、同日午後四時二五分には、要観察の状態となり、同日午後六時以降、悪寒、幻覚、幻視、興奮状態が激しくなり、症状が悪化していつた。

(七)  六月二六日午前〇時、血圧が一挙に低下し、心拍は微弱になり、顔面蒼白、全身色不良等の状態を示し、意識レベルの低下が疑われ、同日〇時一五分には、酸素分圧の低下状態となり、その後も、不穏状態は持続して、同日午前三時三〇分には、静栄の左肺の呼吸音が消失し、同日午前五時二〇分、被告大屋により、左肺の呼吸音の消失が確認された。同日午前九時二七分、胸部の試験穿刺により縫合不全の発生が判明したが、そのころの静栄の意識状態は、呼びかけにわずかに反応する程度であつた。

(八)  被告服部は、胃全・亜全摘出術での縫合不全に対する術後管理について、ドレーンが挿入されていないか、挿入されていても有効に効いていない場合には、縫合不全が発生すると消化管液等の排液が腹腔内に溜まつて腹膜炎が生じ、これに伴う発熱、痛み、頻脈等の症状が起こるが、ドレーンが適切な位置(左横隔膜下腔)に挿入され、有効に機能している場合には、縫合不全が発生するとドレーンから消化管液等の排液がでてくるので、発熱・頻脈・白血球増多症等の症状は生じないし、逆に、適切な位置(左横隔膜下腔)に挿入されたドレーンが有効に機能していることが確認されているのに、ドレーンから消化管液等の排液がないならば、発熱・頻脈・白血球増多症等の症状があつても縫合不全とは関係ないものと考えてよいとして、結局、ドレーンからの排液の量・性状を観察することが縫合不全を察知する一番良い方法である、との見解に従つて、臨床医療にあたつてきたこと、弁論の全趣旨によれば、被告服部は被告大屋に対してもその旨の指導を行い、被告大屋もこれに従つて小松病院での術後管理にあたつてきた。

以上の各事実が認められる。

3  以上の認定事実を前提に、被告服部並びに同大屋についての静栄の縫合不全発見の遅れの過失の有無につき、検討する。

(一)  まず、前記七の2において判示したとおり、縫合不全は消化管手術の合併症のうちもつとも重篤でときには致命的な結果をもたらすものであり、食道空腸吻合部では高頻度で発生するほか、低蛋白血症、高齢の患者では縫合不全発生の危険が高くなるというのであるから、低蛋白血症等の縫合不全発生を予想させる要因がある患者に対し食道空腸吻合を伴う胃亜全摘出手術を実施した医師としては、その術後管理に際し、患者の体温・心拍数・血圧等のいわゆるバイタルサインの推移、患者の訴える痛みの部位・程度、予防的ドレーンからの排液の量・性状、胸部X線写真の所見等の諸症状を総合して、縫合不全を疑わせる症状の有無・程度を通常の患者に対するよりも一層注意深く観察・診断し、縫合不全を疑わせる症状があつた場合には、いち早く適切な検査を実施して縫合不全の有無を確認するとともに、縫合不全の発生を確診した場合にはその発生部位・程度を的確に把握した上、患者の全身状態等を勘案して縫合不全に対する適切な治療法を選択し、実施する義務があるというべきである。

(二)  静栄においては、昭和六一年六月二三日午後五時四五分から七時ころ(以下「<1>時点」という。)、同月二四日午後一時二〇分から二時ころ(以下「<2>時点」という。)、同月二五日午後三時五〇分以降(以下「<3>時点」という。)の各時点で、痛みを訴えていたところ、静栄の右各痛みの訴えの程度のほか、その他の時点での創痛に対する処置が全て主治医からの事前の一般的指示(前記の約束指示)に従つてその範囲内で行われている(鎮痛剤ペンタジンの投与)のに対し、右<1>ないし<3>の各時点では、いずれも、看護婦が、前記の約束指示の範囲内では対処しえないものと判断して、主治医その他の医師の判断を仰いでいることからすれば、右各時点での痛みの訴えは、通常の術後痛とは明らかに区別されるような異常な事態であつたというべきである。

また、六月二四日の午後(昼間)に実施された静栄の胸部単純X線写真と術前の六月九日に撮影された胸部単純X線写真とを比較すると、六月二四日のX線写真における肺野の影が著しいことと、同月二六日午前九時ころの静栄の縫合不全発見時に静栄の胸腔内に一〇〇〇ミリリットルもの胸水が貯留し、そのために呼吸不全を生ずるほどであつたことからみて、同月二四日段階でも相当量の胸水が貯留していたとみるべきであることを総合すれば、六月二四日のX線写真における肺野の影が胃全摘手術を行つた場合に通常見られる程度の反応性の胸腔内の浸出液の貯留であるということはできず(前記1(五)の事実は、右各認定を覆すにはなお不十分というべきである。)、むしろ縫合不全の発生による胸水貯留であつたことがうかがわれる。

さらに、前記1(一)認定の縫合不全の症状と右<1>及び<2>の各時点での静栄の体温・心拍数、痛みの部位等の症状とが符合し、殊に<2>時点での発熱・頻脈の程度は著しいこと、一般に縫合不全は術後四日目以降に確診されることが多いものの、それ以前の術後早期に縫合不全が確診された症例も少数ながら存在することも考え併せると、遅くとも昭和六一年六月二三日午後五時四五分ころから七時ころ(<1>時点)ころから縫合不全が発生し、同月二四日午後一時二〇分から二時ころ(<2>時点)には、縫合不全の症状がかなり進行していたものと認めるのが相当である。

(三)  そして、右各事実に加え、<1>時点で採られたドレーンの位置の不良、静栄の既往症の虚血心に対する各処置が直ちに功を奏せず、しばらくしてようやく痛みが一旦消失した後に、またもや<2>時点で、痛みが発生し、その痛みの程度は相当なものであつたことを併せ考えれば、<2>時点では、<1>時点よりも更に慎重に対処し、その原因を十分に探究すべきであつたというべきであること、予防的ドレーンからの排液を縫合不全発見の唯一の手掛かりとすることは、縫合不全の発生を見逃すおそれがあるというべきであること、そもそも食道と空腸を吻合する手術は、縫合不全を生じる可能性が比較的高い手術である上、手術時の静栄の年齢は満七一歳であり、術前の総蛋白量が基準値を下回つていたことから、本件は、通常の場合以上に縫合不全の発生に配慮すべきケースであつたことの各事実を総合して判断すると、<1>時点では、最初の異常な痛みの訴えである上、発熱、頻脈の程度もそれほど激しいものではなく、また、主治医の被告大屋がドレーンの位置の不良、静栄の既往症の虚血心に対する各処置を順次採つている段階であることから、未だ縫合不全を疑わせる症状があつたとはいいがたいものの、二回目の異常な痛みが発生した<2>時点では、被告大屋は、静栄の従前の症状の推移、右<2>時点における静栄の痛みの部位(心窩部痛)・程度・低温・心拍数等の諸事情から、静栄の縫合不全の発生を疑うべきであつたというべきである。

(四)  そして、前記1(八)認定のとおり、造影剤検査は、経口摂取開始前のみならず一般に縫合不全の疑いのあるときにも実施されるべきものであること、前記二の3の(一)認定のとおり、本件手術では三か所の縫合部があり、そのいずれで縫合不全が発生したかは、メチレンブラウ等の色素検査(色素を経口摂取させ、予防的ドレーンから漏出するかをみる。)では明らかにできず、造影剤検査ではこれが可能であることに照らせば、被告大屋は、前記<2>時点で、静栄に縫合不全が発生したことを疑つて、縫合不全発生の有無を確定するとともにその発生部位・程度を確認するために、造影剤検査を実施すべきであつたと認めるのが相当である。

(五)  《証拠略》中、本件縫合不全の発生時期を、六月二五日午後三時五〇分ころ、あるいは、同日午後一二時ころと推定する部分は、結局のところ、静栄の症状が著しく悪化したことをその根拠とするものというべきであるのに対して、被告服部並びに同大屋も自認するように縫合不全は最初は僅かな漏れから始まるのであるから、縫合不全発生後直ちに症状が激変しなければおかしいというものではないし、先に認定したように、術後四日目より前の術後早期に縫合不全が確診された症例も少数ながら存在するのであり、更に、前記三認定のとおり、本件縫合不全の発生機序が食道の術後の縮み上がりによる食道と空腸の縫合部の緊張・血行障害にあることからは、静栄の右<1>及び<2>の各時点の痛みが術後早期の縫合不全によるものとみても矛盾はなく、また、右(二)の各認定事実からは、<1>及び<2>の各時点の痛みがその後に消失したのは、各痛みの消失前に投与された鎮痛剤による一時的な効果にすぎず、右各時点での痛みは術後早期の縫合不全による症状であつたとみるほうがむしろ自然である。

(六)  また、前記二の5認定の静栄の症状の推移によれば、縫合不全発見時の六月二六日午前九時ころの静栄の全身状態は、胸腔内に貯留した胸水による呼吸不全のため、意識障害が強く、麻酔が一切実施しえないほどに著しく悪化していたこと、被告大屋はこのような静栄の全身状態の悪化のため、直ちにIVHを実施することはかえつて負担になるとみて、その実施を段階的にせざるを得なかつたことがそれぞれ認められるけれども、前記<2>時点である六月二四日午後二時ころから翌二五日午後三時前までの間では、静栄にはこのような激しい症状はみられず、IVH、各種手術の早期実施の妨げになる事由もなかつたのであるから、前記<2>の時点で直ちに縫合不全を疑つて造影剤検査を実施していれば、容易に本件縫合不全を発見することができたし、また、前記1(九)認定の各治療法を適宜実施して静栄の死亡を避けることができたものと認めるのが相当である。

4  以上によれば、被告大屋は、静栄が縫合不全を疑わせる症状を示していたのだから、縫合不全の発生を疑つて直ちに造影剤検査を実施して、縫合不全発生の事実並びにその部位・程度を確診した上、すみやかに縫合不全に対する治療を適宜実施すべきであつたのに、これを怠り、術後早期であつたことやドレーンからの排液がほとんどなかつたことから、静栄の症状を安易に通常の術後反応と軽視して縫合不全を疑わせる症状を看過し、縫合不全の発見が致命的に遅れた過失があるものといわざるを得ない。

また、被告服部については、本件手術当時、執刀医として当然に果たすべき術後管理を全面的に被告大屋に委ねていたのだから、被告大屋に対し、十二分な指示・監督をすべきであり、ドレーンからの排液の監視のみに頼りすぎず、縫合不全の発生を疑わせる症状の有無に配意し、場合によつては適宜造影剤検査などを実施して、早期発見に努めるように被告大屋を指示・監督すべきであつたのに、これを怠つた過失があつたというべきである。

一〇  前記九で判示したとおり、被告服部並びに同大屋には、当時の医療水準に照らして、十分に予見しえた静栄の縫合不全の症状を看過して、その発見が遅れたために静栄を死亡させた術後管理上の過失があつたものと認められるから、右被告両名は、原告らに対し、民法七〇九条、七一九条に基づき、静栄の死亡によつて原告らが被つた損害を賠償する義務を負うものであるが、被告遠山については、本件手術前に静栄の検査をし、本件手術をすすめたものにすぎず、原告らの主張するような不十分・不適切な処置はいずれもこれを認めることができないから、何ら不法行為責任を負うものではない。

また、前記九の判示に加えて、被告協仁会が被告医師らの使用者であり、被告医師らの前記九判示の診療行為が被告協仁会の業務の執行につきなされたものであることは当事者間に争いがないから、被告協仁会は、原告らに対し、民法七一五条(使用者責任)に基づき、静栄の死亡によつて原告らが被つた損害を賠償する義務を負うものである。

一一  損害

進んで、原告らの損害につき、判断する。

1  静栄の逸失利益 五九三万五六〇七円

静栄が死亡当時七一歳の女性であつたことは当事者間に争いがなく、静栄は、本件縫合不全による死亡がなければ少なくともあと五年間は就労が可能であり、右期間中毎年、昭和六一年賃金センサス第一巻第一表産業計・企業計・学歴計・女子労働者六五歳以上の平均年収額二二八万五〇〇〇円の収入を得ることができたものと推定され、右期間中の生活費控除割合は四〇パーセントとみるのが相当であるから、ライプニッツ式計算方式で年五分の中間利息を控除して(五年のライプニッツ係数は四・三二九四である。)、五年間の逸失利益の死亡時の原価を求めると、五九三万五六〇七円となる(円未満切り捨て)。

(計算式) 2、285、000×(1-0.4)×4.3294=5、935、607

2  静栄の慰謝料 一〇〇〇万円

静栄の年齢、小松病院での診療の経過、その他本件審理に顕れた一切の事情を総合考慮すると、静栄の慰謝料は、一〇〇〇万円であると認めるのが相当である。

3  原告ら固有の慰謝料 計五〇〇万円

原告慶憲が静栄の夫であり、原告慶昭、同英昭並びに同雅昭がいずれも静栄と原告慶憲との間の子であることは当事者間に争いがなく、静栄の小松病院での診療の経過、その他本件審理に顕れた一切の事情を総合考慮すると、原告らの固有の慰謝料は、原告慶憲につき二〇〇万円、原告慶昭、同英昭並びに同雅昭につき各一〇〇万円であると認めるのが相当である。

4  葬儀代(原告慶憲) 六〇万円

弁論の全趣旨によれば、原告慶憲が静栄の葬儀代を負担し、その金額は六〇万円と認めるのが相当である。

5  相続

静栄は、被告らの前記不法行為により、前記1、2の合計一五九三万五六〇七円の損害賠償請求権を取得したところ、前記判示のとおり、原告慶憲は静栄の夫、原告慶昭、同英昭並びに同雅昭はいずれも静栄の子であり、《証拠略》によれば、原告らだけが静栄の相続人であつて他に静栄の相続人は存在しないことが認められるから、原告らは、静栄の死亡により、その法定相続分に従い、次のとおり静栄の損害賠償請求権を相続により取得した(円未満切り捨て)。

(1) 原告慶憲(相続分二分の一) 七九六万七八〇三円

(2) その余の原告ら(相続分各六分の一) 各二六五万五九三四円

6  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、原告らは、本件訴訟の提起、追行を原告訴訟代理人らに依頼し、計四二〇万円(内訳は、原告慶憲二一〇万円、その余の原告ら各七〇万円である。)の報酬の支払を約したことが認められるところ、本件事案の内容、審理経過、認容額等の諸事情に照らすと、本件訴訟と相当因果関係のある損害として認められる弁護士費用は、計一五六万円、内訳は、原告慶憲七八万円、その余の原告ら各二六万円と認めるのが相当である。

7  以上より、原告慶憲の損害額は、前説3、4、5の(1)、6の各金額の合計一一三四万七八〇三円となり、原告慶昭、同英昭並びに雅昭の損害額は、いずれも、前記3、5の(2)、6の各金額の合計である三九一万五九三四円となる。

一二  結論

以上の次第で、原告慶憲の本訴請求は、被告協仁会、同服部、同大屋に対し、各自金一一三四万七八〇三円及び内金一〇五六万七八〇三円に対する不法行為の日の以降である昭和六一年七月一二日から、内金七八万円に対する第一審判決言渡日の翌日である平成四年一〇月三一日から、各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において、原告慶昭、同英昭、同雅昭の本訴請求は、いずれも、被告協仁会、同服部、同大屋に対し、各自金三九一万五九三四円及び内金三六五万五九三四円に対する不法行為の日の以降である昭和六一年七月一二日から、内金二六万円に対する第一審判決言渡日の翌日である平成四年一〇月三一日から、各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において、それぞれ理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、原告らの被告遠山に対する請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小北陽三 裁判官 岡健太郎 裁判官 加島滋人)

《当事者》

原 告 田中慶憲 <ほか三名>

右四名訴訟代理人弁護士 坂元和夫 同 尾藤廣喜 同 山崎浩一

被 告 医療法人協仁会

右代表者理事 小松良夫 <ほか三名>

右四名訴訟代理人弁護士 前川信夫 同 国本敏子 同 斉藤ともよ

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